証言日:2022-02-22
稲垣慶子さんは、長崎県立高等女学校の3年生、14歳の時に長崎で被爆しました。学徒動員で働いていた慶子さんは、身体が弱かったため、三菱兵器製造所大橋工場の中2階にある事務所で仕事をしていました。8月9日も仕事で事務所の窓側から3番目に座っていた慶子さん。原爆投下のその時、閃光と熱風が襲い掛かったのです。
戦後、家族のくらしを支えるために働き詰めに働き、そして学校や国連の核不拡散防止条約(NPT)再検討会議にて被爆の体験・実相を語ってこられました。
「二度と戦争は嫌だ。」そう語る慶子さんの穏やかなまなざしには、憤りや悲しさ、そして何よりこれからを担う世代への思いが込められています。