コープあいちが原爆体験者の証言映像を作成しウェブで発信する計画があると知った時に、この企画に作成から参加したいと思ったのは、被爆者の被爆時のあの日・あの時の体験だけではなく、被爆前の生活や、被爆をした後にどのような人生を生きてきたのか、その人がどんなふうに原爆と向き合って生きてきたのかという、原爆被害を受けた人の人生を紹介したいと思ったからでした。

私は40年前に大学を卒業し、被爆者について「ケロイド、病気、経済的困難というステレオタイプのイメージだけで、神奈川県原爆被災者の会の事務局員としての仕事を始めました。そしてすぐに、被爆者はいつも、いつも、被爆の話をしているのではない。仕事をし、ある時は趣味を楽しみ、生活をしている人たちなのだ、という当たり前のことを知るのです。

でも、当たり前の生活を送ることを原爆がじゃまをする。病気や偏見があり、原爆で亡くなった家族や友人への気持ちが、つらく、悲しい。原爆が自分を追いかけてくる。そんな被爆者の言葉から、原爆被害とは何かをわずかでも理解できたように思います。

原爆に追いかけられながらも、若き日に夜学で学んだり、仕事の資格を取るために努力した姿や、戦後の経済が目まぐるしく変化する中で、自分自身や夫の失業で広島・長崎の地を離れ、新しい生活を立て直した人たちの姿は、あきらめずに自分の人生を作っていくことを教えてくれました。

そして、ヒロシマ・ナガサキで原爆被害を受けた人たちが集まり、ふたたび被爆者をつくらせない、核兵器を廃絶していく、そのためにこそ国家補償の被爆者援護法を、という運動を続けていることに、人間が生きていくうえで社会に働きかけながら生きることの大切さを教えてもらったのです。

自分の辛かった体験を語ることは、決して簡単なことではない、自分の生きてきた道を話すことは話す前は緊張し、話した後は疲れることです。私は被爆者に証言をお願いするとき、申し訳ないような気持ちがします。でも、被爆者の話してくださった体験が聞き手に伝わったときに、「話してよかった。」の一言で救われた思いをしています。

戦争はそして核兵器は、幸せで充実した人生を生きていきたい、そんなごく普通のことを否定し阻害するものだと思います。今回の原爆体験映像をもとに、さらに学び、証言の言葉の奥にあるもの、言葉にできない思いなどを想像し、考え、行動していくことができれば、と願っています。